中古品とヨゴレとケガレ。
みなさん、こんにちは。
先日、こんなツイートを見かけました。
あるお寺の住職の話「汚いですが、コップにおしっこをしてからそのコップをきれいになるまでよく洗います。その後そのコップにお茶を注ぎ、飲む。この時に感じてしまう心理的抵抗が『穢れ』の本質なんです。おしっこがコップに残ってなくても感じてしまう。この『穢れ』が様々な差別につながってきた」
— 日々おもしろbot (@omoshironeta) 2016年12月8日
なるほどなぁ、と。
きれいに洗われているから汚れは残っていない。
けども、なんか汚く感じる。
たしかに。
「様々な差別」というのは、人種差別や部落差別が当てはまりますね。
この「穢れ」という思想は仏教のものですが、他の宗教にも見られます。
日本で広く食べられている豚はイスラム教では不浄な生き物とされ食べられません。
普段の生活において自分は何に対して「穢れ」を感じるかな?と思って振り返ってみました。
すると、見つかりました。
「中古品」です。
リサイクルショップで売られている様々な中古品。
きれいにクリーニングされて、汚れていないと頭ではわかっています。
でも、なんか汚れているように見えてしまう。
くすんでいるというか、輝きがないというか。
古着は特に感じます。
知らない誰かが着たものなんて嫌だなぁ、と。
でも、この気持ちは「穢れ」なんだとわかったら不思議と抵抗感が弱まりました。
根拠のない思い込みだということが理解できたからですかね。
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