100円のチョコを500円だと思って食べることが貧乏くさくないたった1つの理由
みなさん、こんにちは。
僕は100円のチョコを500円のチョコだと思って食べている。
すると、どうなるのか。
普通に食べるよりも、美味しくなるのだ!
これは本当だ。信じられないならやってみればいい。
そもそも、人間は「美味しさ」を味覚だけで感じているわけではない。
嗅覚、視覚、触覚でも感じている。
例えば、イチゴ味のかき氷シロップ。
成分表示を見ると「イチゴ」がシロップに入っていないことが分かる。
(高級なやつは違うかもしれません。入ってるやつ食べてみたい。)
同じように、メロン味に「メロン」は入っていないしブルーハワイ味に「ハワイ」も入っていない。
ではなぜ「イチゴ」が入っていないのにイチゴを感じるのだろうか。
その答えは、「香料」である。
あのシロップの中にはイチゴのにおいがする香料が入っている。
つまり、イチゴ「味」ではなくイチゴ「風味」ということだ。
この衝撃の事実に怒りが沸いてしまった方もいるだろう。
しかし、顔をイチゴのように真っ赤にせず落ち着いて聞いてほしい。
風味だけだからといって、偽物、悪者だと否定するのは安易な考えである。
カニカマも風味だけだが美味しいし、うなぎの蒲焼のにおいだけでもご飯は美味しく食べられるだろう。(個人差はある)
「風味」だけでも美味しければそれで良いじゃないか。
少し話がずれてしまったが、美味しさを嗅覚でも感じていることがわかって頂けただろう。
長くなってしまったので視覚、触覚については簡単に説明する。
こんがり絶妙な焼き目の付いたステーキ、とろとろクリームのシュークリームを想像してくれ、以上だ。
さて、そろそろ本題に入ろう。
100円のチョコを500円と思って食べることは貧乏くさいと思う方は少なくない(と思う)。
ちなみに、ついこの間まで僕もそう思っていた。
しかし、本当にそうなのだろうか?
考えてみてほしい。
そもそも、その100円のチョコは本当に100円分の価値があるのだろうか?
100円で売られているから、100円分の価値があると思い込んでいるだけではないだろうか?
何が言いたいかというと、「100円のチョコ」は提供する側にとって100円分の価値があるから、100円なのである。
おばあちゃんが言っていた(気がする)。
価値の大きさは絶対的なものではなく相対的なものである、と。
時間や場所や人が変われば、価値の大きさも変わるのだ。
古代ローマでは兵隊の給料が塩だったし、アメリカの一部地域では水よりもコーラのほうが安く手に入る。
給料日にお金が振り込まれる代わりに、大量の塩が送られてきたらたまったもんじゃない。
お冷の代わりにコーラが出されるのは悪くないが、しかしここは日本である。
(アメリカでも出てこないので注意。)
僕は今、「コンビニで100円で売っていたチョコ」を「500円のチョコ」だと思って食べている。
このチョコは僕にとって500円分の価値がある。
貧乏くさいのではなく、自分の価値観を持っているのだ。
自分の価値観を通して、ものごとを見ているのである。
これが、100円のチョコを500円だと思って食べることが貧乏くさくないたった1つの理由だ。
お詫び
調べたところ、カニカマには「カニエキス」が入っていました。
さも「カニ」が入っていないかのように書いてしまったことをお詫びいたします。
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