tetsuyaaaaaa

労働にサヨナラを

(メモ)ゲーセンでとった景品のチョコをお客さんに配った時に感じたこと

声をかけるときに感じたことをメモります。

 ・何者かわからないから怖い

・相手の反応は、ぶっちゃけ運ゲー

→相手のNOをYESに変えるには会話が必要=エネルギー使う

・笑顔、喋り方、ボディランゲージなどこちら側でできることもある

・理由づくりは大事

・「いつもはこんなことしないんですけど、たまには面白いかなと」って言うのが良かった

→変人じゃなくて一般人と思われて安心させられるから

ラポール形成はNLPがかなり強いと感じた

・自分の警戒心を消さないとモロに仕草に出る

→頭が「逃走モード」になるんだと思われ。会話の内容考えられないし、体が相手と距離を取りたがっていると感じた。

→警戒していなかった時はスラスラと話せたから、おそらくそうなんだろう。

・突然パッと行くより、相手の視界に入ってからの方がスッとオープンした気がする。(相手の心の準備かな?)

4ヵ月筋トレ続けてて思うこと

筋トレやってるとマジで楽しいです。

体がどんどん(いまいちな時もあるけど)でかくなっていくのは本当に快感です。

 

しかも女の子にモテやすくなるじゃないですか

最高ですよね。

男はやっぱりモテたいですから。

 

4ヵ月前から始めました。

きっかけは「マジでモテたい」と思ったからです。

 

それまでの自分は「女の子と遊ばなくたって楽しいことはたくさんある」と言って、なんやかんや自分を正当化していました。

彼女いない歴=年齢の純度100%非モテです。

 

でも、ある日ふと思ったんです。

「いややっぱモテたいわ。女の子と遊びまくりたいわ。こんなんでいいのかな。」って。

そこで目覚めました。

 

人間、本気になると意外とやれるもんです。

今まで、筋トレを始めたことは何回かありますが続いたことは一度もありません。

でも今回は違いました。続いてる。4ヵ月も。すごい。

 

思ったんですがやっぱ習慣になるとやめなくなりますね

一般的に、筋トレは努力っていうイメージがあると思うんですが、そういう感覚はないです。

「さあ、今日もやるか。」っていう感じ。

こうなると強い。まずやめることはない。(と思う)

 

しかし、そこまで行くのが大変ですよね。僕だって続かないことは何度もありましたし。

そこはもう、何とかしてモチベーションを保つしかないかもです。

僕の場合は「女の子にモテたい。筋肉つけばモテる。頑張る。」って感じでした。

男は女に弱いですね、、。

他の例だと、、、、なんだろ?筋トレ後のご褒美とか可愛いお姉さんのいるジムに行くとかですかね。

頑張ってください。(他人事みたいになってしまってすみません。でも変えるのも変わるのもあなたですから。頑張ってください。応援してます。)

 

ちなみに、僕は読んだことないのですが続けることに関係する本をいくつか紹介します。

僕は読んだことないのでなんのコメントもできないのですがAmazonで人気があるので、いい本なんですきっと

よければどうぞ

 

「続ける」習慣

3週間続ければ一生が変わる〈ポケット版〉

やめられない!ぐらいスゴイ 続ける技術

「続けられない自分」を変える本

なぜ、あなたのやる気は続かないのか

 

本当に読んだことないのしかないです。

ちょっと僕も読んでみよ、、。

 

 

ちなみに僕がモテ筋トレのために参考にしているのはこちらの方です

なぜ筋トレするとモテるのか?を科学的に解説していてマジ参考になります。

ハンパない。よかったら読んでみて。

モテるために筋トレをするならMBA

Twitterアカウント:みの@ボディメイク(@taiikukai_mino)

中古品とヨゴレとケガレ。

みなさん、こんにちは。

先日、こんなツイートを見かけました。

 

 

なるほどなぁ、と。

きれいに洗われているから汚れは残っていない

けども、なんか汚く感じる

たしかに。

「様々な差別」というのは、人種差別や部落差別が当てはまりますね。

 

この「穢れ」という思想は仏教のものですが、他の宗教にも見られます。

日本で広く食べられている豚はイスラム教では不浄な生き物とされ食べられません。

 

普段の生活において自分は何に対して「穢れ」を感じるかな?と思って振り返ってみました。

すると、見つかりました。

「中古品」です。

 

リサイクルショップで売られている様々な中古品。

きれいにクリーニングされて、汚れていないと頭ではわかっています

でも、なんか汚れているように見えてしまう。

くすんでいるというか、輝きがないというか。

古着は特に感じます。

知らない誰かが着たものなんて嫌だなぁ、と。

 

でも、この気持ちは「穢れ」なんだとわかったら不思議と抵抗感が弱まりました。

根拠のない思い込みだということが理解できたからですかね。

 

 

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ケガレ (講談社学術文庫)

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僕が正社員ではなくあえてバイトを選ぶ理由

世の中には、正社員に対する信仰がある。

とにかく正社員になっておけば大丈夫なのだという。

でも、本当にそうなのだろうか。

僕は、そうは思わない。思えない。

 

よくよく周りを見てほしい。

何十年も続く大手企業が海外企業に買収されたり、倒産したりしている。

ロボットが代わりに人間の仕事をやる時がいつ来るかもわからない。

今の世の中に「大丈夫」なんてものは無いのだ。

あえて言うのであれば「常に変化すること」を意識していれば大丈夫だろう。

 

正社員は、会社の仕事に追われて自分の時間が取れない。

(優秀な人間ならばうまくスケジュール管理するだろうが、僕は平凡で努力したくないタイプの人間だ)

自分の時間が取れないとどうなるのか。

未来に向けた自己投資ができないのだ。

 

常に変化することが求められる世の中で生き延びたいのならば、常に成長することが求められる。

そのため、自己投資が重要になってくるのだ。

会社の仕事自体が自己投資になるならば問題ないが、そのような仕事は限られる。

(しかも、優秀な人間でなければ勤められない仕事がほとんどである)

自分の時間で自己投資をするしかないのだ。

 

正社員として、いつ無くなるかわからない仕事に追われて時間を消費するのと、バイトで最低限の生活ができる収入を稼ぎつつ、自己投資に時間を消費するのでは、どちらが良いだろうか。

僕は、最低限の収入を稼ぎつつ好きなことを仕事にする方法を探すという選択肢を選んだ。

 

正社員を否定するわけではない。

本当に仕事がなくなるかどうかはわからないし、安定した収入を優先したい人もいる。

しかし、常に危機感を持つべきだ。

自分のライフスタイルを見つめなおし「これからの世の中」をどう生きていくのかを考えてみても良いだろう。

 

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100円のチョコを500円だと思って食べることが貧乏くさくないたった1つの理由

みなさん、こんにちは。

僕は100円のチョコを500円のチョコだと思って食べている。

すると、どうなるのか。

普通に食べるよりも、美味しくなるのだ!

これは本当だ。信じられないならやってみればいい。

 

 

そもそも、人間は「美味しさ」を味覚だけで感じているわけではない。

嗅覚、視覚、触覚でも感じている。

例えば、イチゴ味のかき氷シロップ。

成分表示を見ると「イチゴ」がシロップに入っていないことが分かる。

(高級なやつは違うかもしれません。入ってるやつ食べてみたい。)

同じように、メロン味に「メロン」は入っていないしブルーハワイ味に「ハワイ」も入っていない。

 

 

ではなぜ「イチゴ」が入っていないのにイチゴを感じるのだろうか。

その答えは、「香料」である。

あのシロップの中にはイチゴのにおいがする香料が入っている。

つまり、イチゴ「味」ではなくイチゴ「風味」ということだ。

 

 

この衝撃の事実に怒りが沸いてしまった方もいるだろう。

しかし、顔をイチゴのように真っ赤にせず落ち着いて聞いてほしい。

風味だけだからといって、偽物、悪者だと否定するのは安易な考えである。

カニカマも風味だけだが美味しいし、うなぎの蒲焼のにおいだけでもご飯は美味しく食べられるだろう。(個人差はある)

「風味」だけでも美味しければそれで良いじゃないか。

 

 

少し話がずれてしまったが、美味しさを嗅覚でも感じていることがわかって頂けただろう。

長くなってしまったので視覚、触覚については簡単に説明する。

こんがり絶妙な焼き目の付いたステーキ、とろとろクリームのシュークリームを想像してくれ、以上だ。

 

 

 さて、そろそろ本題に入ろう。

100円のチョコを500円と思って食べることは貧乏くさいと思う方は少なくない(と思う)。

ちなみに、ついこの間まで僕もそう思っていた。

しかし、本当にそうなのだろうか?

 

 

考えてみてほしい。

そもそも、その100円のチョコは本当に100円分の価値があるのだろうか?

100円で売られているから、100円分の価値があると思い込んでいるだけではないだろうか?

何が言いたいかというと、「100円のチョコ」は提供する側にとって100円分の価値があるから、100円なのである。

 

 

おばあちゃんが言っていた(気がする)。

価値の大きさは絶対的なものではなく相対的なものである、と。

時間や場所や人が変われば、価値の大きさも変わるのだ。

古代ローマでは兵隊の給料が塩だったし、アメリカの一部地域では水よりもコーラのほうが安く手に入る。

給料日にお金が振り込まれる代わりに、大量の塩が送られてきたらたまったもんじゃない。

お冷の代わりにコーラが出されるのは悪くないが、しかしここは日本である。

(アメリカでも出てこないので注意。)

 

 

僕は今、「コンビニで100円で売っていたチョコ」を「500円のチョコ」だと思って食べている。

このチョコは僕にとって500円分の価値がある。

貧乏くさいのではなく、自分の価値観を持っているのだ。

自分の価値観を通して、ものごとを見ているのである。

これが、100円のチョコを500円だと思って食べることが貧乏くさくないたった1つの理由だ。

 

 

お詫び

調べたところ、カニカマには「カニエキス」が入っていました。

さも「カニ」が入っていないかのように書いてしまったことをお詫びいたします。

 

 

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味覚を変えればやせられる

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